保険コラム

2022.08.04
京都魔界案内(1)(三条~四条~五条 鴨川)

京都魔界案内(1)

(三条~四条~五条河原)

8月に入り、まだまだ猛暑が続いています。

家に帰ってビールを飲みたくなる季節ですが、クーラー病など気を付けてください。

さて、8月はお盆の季節です。

京都では、盆入りの8月7日~10日の間に、御精霊(おしょうらい=魂)様を迎えに行き、8月16日の五山送り火(大文字焼)でお送りする風習があります。

五山送り火は、テレビで取り上げられることも多く、三条大橋や四条大橋、鴨川の河原からカップルなどが、眺めている様子がよく映されています。

三条から四条、五条にかけてみられる川床も夏の風物詩です。

 

しかし・・・、皆さん知っていますか?

三条の鴨川河原が昔は怖い所であったというのを。

 

その名も、三条河原(さんじょうがわら)処刑場

罪人の処刑や晒し首の舞台であったことを。

 

皆さんも聞いたことがある人物も、三条河原で処刑、晒し首にされたと伝えられています。

 

①石川五右衛門(いしかわごえもん)

安土桃山時代の盗賊の首長。京都三条河原で煎り殺された。(釜茹での刑ともいわれる)

見せしめとして、生後間もない子供も含め、親族を含め処刑されている。

 

②豊臣秀次(とよとみひでつぐ)

豊臣秀吉の甥で、秀吉から関白の座を譲られていたが、秀吉に実子の秀頼が生まれたため

跡継ぎ問題が勃発。秀吉に対する謀反の嫌疑をかけられ、高野山で切腹。

見せしめとして、妻や子供を含む一族郎党40人近くを、三条河原で処刑し、秀次の首と一緒に晒された。

 

③石田三成

関ヶ原の戦いで敗戦の将となった、石田三成は逃亡中に捕まり、六条河原で斬首。

首は見せしめのために、三条河原まで運ばれ晒された

 

④近藤勇

江戸時代の幕末に結成された、新選組2代目局長。

新政府軍と旧幕府軍との間で起きた戊辰戦争で敗戦を重ね、千葉県の流山に屯集した。近藤たち隊士は会津を目指し進軍予定であったが、新政府軍によって捕縛され、板橋で斬首され、首は三条河原に晒された。

 

以上のように、三条河原は歴史上処刑場とされていた場所ですが、今では全く面影がありません。

三条河原や四条河原では、カップルが等間隔で座っていますが、「その場所、処刑場で晒し首をしていた場所やで」と思いながら見てしまいます。

 

みなさん、どうでしたか?

少しは涼しくなりましたか?

 

ちなみにですが、三条大橋を渡って一筋目を南に下ったところには「瑞泉寺(ずいせんじ)」があります。

処刑された豊臣秀次を憐れんで建立した供養塔があります。

一度行ってみてください。

 

旅行するときには、旅行保険への加入も忘れずに!!

 

次回の京都魔界案内(2)は「北野天満宮」です。

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